受験生が滑る

誰の評価も必要ない。俺は俺の評価だけ得られれば、それで良い。
目をつぶってボタンを押した。複雑な画面が出てきた。初めて見る世界である。新しいシステム。

飛んでみよう。やった後悔とやらなかった後悔ではやらなかった方が大きい。

己の身を切られるような痛さであるが、自分の閾値を超えてみよう。

20万円をドブに捨てたつもりでやってみよう。これも授業料だ。

目をつぶってボタンを押せ!

外応は吉である。

また確認画面が出た。怖い。

私は41歳の私として完璧なのだ。私が二十歳の時には二十歳の私として完璧だった。
30歳の時には30歳の自分として完璧だった。五歳の時には五歳の己として過不足なかった。
五歳の時には、かけ算もわり算も出来なかった。では、五歳の私が間違っていたかというと決してそんなことはない。五歳の私として何の問題もない。

悩むべき時には悩み、笑うべき時には笑ったと思う。

あれから時間が経過して現在、私は41歳である。この状態で何か問題があるか?私は41歳の私としてパーフェクトである何の過不足もない。
ピッタリ私である。昨日、そんなことを考えた。

気が付けば、馬プラセンタ美容液が手放せない年齢になっている。時間の流れは早いものだ。 そんなことを考えながら歩いていたら大変なことになってしまった。

凍りついた路面で滑って転んでしまったのである。ポケットに手を入れてなかったので、両手をついて大事には至らなかった。

しかしながら、服は、びしょ濡れになった。ぶつけた左半身に力が入らない。

濡れた服はストーブで乾かした。

人が滑った話を聞いた直後の矢先の出来事である。

これが、受験生ならば滑るというのは、非常に縁起の悪いことであろう。最近は神社に合格祈願の奉納絵馬の話も良く聞かれる。
しかし、結局、大学に合格して卒業してもサラリーマンにしかなれないのであるが、一生懸命勉強している人間に否定的なことを言うのはやめておこう。
大学受験する学生の人は合格すると良いですね。

ちなみに、私の大学生活は、こちらで願書を請求するところから始まりました⇒愛知学院大学 願書

今となっては懐かしい思い出です。

ところで大学を卒業して、これで何年が経過したであろうか?

自分が、どんどん取り残されていくのを最近、感じる。毎日決まりきった生活をしていると気付きにくいが、親戚の子供の成長を見ると実感する。
今年の春、大学を卒業してホテルに就職したという。また、別の従妹は結婚して長女を出産した。

ついこの前まで子供と思っていたのが、もう大人になっている。自分が20代の時を思い出してみれば、彼らは既に大人である。気付かないうちにこんな事になっている。

私は、このまま終わるのか。あの勇気の花を再度、咲かせるのではなかったか。